古の技法を守る酒蔵と職人たち
奈良・菩提山の山中に佇む正暦寺では、毎年1月、僧侶と地元の杜氏たちが集い古式ゆかしい酒母づくりの儀式を行います。この寺は室町時代に「菩提酛(ぼだいもと)」という酒母造りの技法を生み出した場所であり、三段仕込みや諸白(精白米のみで仕込む醸造)など、現代の清酒にも通じる画期的手法を確立しました。一度は途絶えた菩提酛ですが、平成に入り奈良の有志酒蔵が集まって復活に取り組み、現在8つの蔵元が菩提酛仕込みの酒を製造しています。乳酸菌を自然に増殖させる古典的製法で醸したその酒はヨーグルトのような酸味とコクがあり、蔵ごとに異なる個性的な味わいを見せています。山深い寺院で培われた知恵が、静かに現代の酒造りにも息づいているのです。
福島県二本松市の人気酒造では、あえて最新技術に頼らず「木桶仕込み」という伝統に回帰する挑戦が行われています。2020年からホーロー製タンクを全廃し、仕込み蔵に大小様々な杉桶をずらりと並べて年間を通じ酒造りを行うという大胆な試みです。木桶は近代に一度姿を消しかけましたが、その良さが見直され全国で少しずつ復活しています。人気酒造の当主・遊佐勇人氏は「どうせやるなら全て木桶で」と決意し、大桶による四季醸造で伝統の風味と安定した品質の両立を実現しました。木肌に棲みつく微生物たちが醸し出す奥深い味わいは、ステンレスでは得られない「生きた酒」の表情を与えてくれます。現代的設備の中にあって木桶が放つ存在感は、蔵人たちの夢とロマンを映し出しているかのようです。
九州・長崎県南島原市にある小さな酒蔵吉田屋もまた、昔ながらの技法にこだわる一軒です。生産高たった90石ほどのこの蔵では、日本で数少ない「はね木搾り」という伝統的な搾り技法を今も守っています。長さ8メートルもの木製の大梁をテコの原理で押し下げ、酒袋をゆっくりと圧搾するこの方法は機械に比べ手間も時間もかかります。しかし、強引に搾り切らないことで雑味のない澄んだ酒質が得られるのです。手仕事ゆえ大量生産はできませんが、「小さな蔵だからこそ出来るこだわり」を信条に、吉田屋はあえて時代遅れとも言われる製法に情熱を注ぎ続けています。木槌と梁が軋む音が響く蔵で滴る酒は、先人の知恵と職人魂が生んだ結晶と言えるでしょう。
家庭醸造の名残とどぶろく文化
かつて日本各地の農村では、自宅で米や雑穀を醸して酒を作る習慣がありました。明治以降、酒税確保のため家庭での酒造りは法律で禁じられましたが、それでも神事や祭礼の場では密かに伝統が守られてきた例があります。白川郷の合掌造り集落で有名な岐阜県白川村のどぶろく祭りでは、村の神社が特別な免許を得て濁酒(どぶろく)を仕込み、秋の例祭で神々に供え、住民もその恵みをいただきます。江戸時代初期から各地の神社で独自のどぶろくを醸造する習わしがあり、明治政府が自家醸造を禁止した後も例外的に許可を受け伝承されたものがあったのです。2000年代には地域活性化の観点から「どぶろく特区」制度が設けられ、条件付きながら特定地域での少量のどぶろく製造が再び認められるようになりました。例えば大分県杵築市の白鬚田原神社では古くから神職が醸すどぶろくが有名で、特区指定を受けて伝統の味を観光客にも提供しています。自家醸造が自由だった欧米に比べれば厳しい制約下ではありますが、それでも各地の山里や祭りで濁酒を酌み交わす風景は細々と息づいています。手作り酒独特の懐かしい香りとどっしりした舌触りは、地域の歴史と誇りそのものと言えるでしょう。
ヤマト以前に伝わった醸造技術の源流
日本の酒造りのルーツを辿ると、その多くは古代に大陸からもたらされた知恵に行き着きます。弥生時代に稲作が伝来した約2500年前、米を発酵させて酒にする技術も中国から一緒にもたらされたと考えられています。稲作民の登場以前、日本列島にも自然発酵の酒は存在しましたが、それは果実酒や木の実の浸酒といった範囲に限られていたでしょう。米による本格的な醸造酒の始まりは、水稲耕作の技術とともに大陸から伝えられたものでした。実際、3世紀頃の中国の史書『魏志倭人伝』には倭人が酒を醸しているとの記録があり、稲作の広まりと歩調を合わせて酒造文化が芽生えていたことが窺えます。
古代日本には大陸から渡来した醸造の専門家たちもいました。『古事記』(712年)によれば、応神天皇の時代に百済(朝鮮半島)の渡来人である須須許里(すすこり)が来日し、天皇に御酒を醸して献上したと記されています。須須許里という名は朝鮮語で酒造りを職業とする者を意味する「スルコリ」に由来し、まさに醸造技術者であったことがわかります。彼が造った酒は醴酒(れいしゅ)とも呼ばれ、米や麹だけでなく穀物を発芽させた麦芽を用いていた可能性が指摘されています。当時の日本ではまだ一般的でなかった麹や発芽穀による糖化技術を、渡来人が伝えたのでしょう。須須許里の酒を口にした天皇が「我、酔ひにけり(良い気分で酔った)」と和歌に詠んだ逸話は、新来の美酒がいかに人々を驚かせ喜ばせたかを物語っています。また須須許里は、酒を搾った後の酒粕に瓜を漬け込む保存食の製法も伝えたとされ、これが奈良漬けの起源になったとも伝えられます。酒造りのみならず副産物の活用法まで含め、古代の日本酒文化は大陸からの影響を色濃く受けて発展したのです。
一方、日本列島独自の酒造法も存在していました。その代表が口噛み酒(くちかみざけ)と呼ばれる方法です。人々が米や穀物を口に含んで噛み砕き、唾液と混ぜたものを容器に吐き出して糖化発酵させるという原初的な醸造法で、世界各地の未開社会にも類例が見られます。実際に『大隅国風土記』には、南九州のある村で男女が集まり米を噛んでは桶に吐き出し、発酵して香り立った頃に皆で飲んだ――そんな口噛の酒の風習が記されています。唾液中の酵素でデンプンを糖に変えるこの手法は、東南アジアや南米の先住民社会でも広く行われており、日本にも稲作伝来以前から存在したと考えられます。沖縄や奄美の離島にも類似の伝承があり、人類にとって「酒はまず口で作るもの」だった時代の名残ともいえるでしょう。やがて麹を使う高度な技術(醸造用カビによる糖化)が大陸から伝わると、口噛み酒は次第に姿を消しました。しかしその痕跡は、例えば沖縄の神女(ノロ)たちが神事で口噛みした米を発酵させる習俗や、東北・南部杜氏の伝説に残る「口嚼ノ神酒」などに僅かに留められています。ヤマト王権成立以前、日本の酒造りは大陸由来の革新技術と土着の素朴な知恵とが混じり合いながら、ゆっくりと熟成していったのです。
どぶろく以外の日本に存在した酒の種類
古代から伝承される様々な酒
日本酒というと清酒やどぶろくが思い浮かびますが、歴史をひもとくと他にも多種多様なお酒が存在してきました。たとえば飛鳥~奈良時代の宮中行事では醴(こい)という甘口の濁酒や、酸(さわ)と呼ばれる酸味のある酒が供された記録があります。平安時代には白酒(しろき)・黒酒など色や製法の異なる酒があり、貴族たちはそれぞれの風味を嗜みました。白酒は麹と餅米で作る甘い濁酒、黒酒は薬草を加えた褐色の酒とされ、宴席や薬用として珍重されたようです。これら古代の酒は現代ではあまり知られていませんが、当時の書物にしばしば登場し、人々の生活と儀礼に根付いていたことが窺えます。
神道の祭礼では今も御神酒(おみき)が欠かせませんが、古来より宮中や神社で造られる神酒は家庭の飲用酒とは別系統の伝統を持っていました。宮中の造酒司では特殊な配合で八塩折の酒など伝説的な霊酒も醸され、その技法は一子相伝で伝えられたといいます。こうした神事用の酒の多くは濁り酒でどろっと甘く、アルコール度数も低めでした。現代の神社でも神前に供えるために少量の神酒を仕込む場合があり、それらは清酒というよりは古式の濁酒に近い風味を意図している場合があります。甘酒も本来は麹で作るアルコール極微量の発酵飲料ですが、「醴」の系譜に属する古代の甘い酒の流れを汲むものと言えるでしょう。
江戸時代の甘い酒:白酒とみりん
江戸時代になると庶民の間にも様々な酒が広まりました。その中でも異色なのが白酒(しろざけ)と味醂(みりん)です。白酒は米と麹に焼酎や味醂を加え仕込む甘い濁り酒で、桃の節句(ひな祭り)に女性が嗜む酒として江戸中期以降流行しました。トロリとした口当たりと砂糖菓子のような甘さで、「女性や酒に弱い人でも飲める酒」として親しまれたのです。一方のみりんは、現代では調味料のイメージが強いですが、江戸以前は立派な高級甘味酒でした。戦国時代までは武将や公家が宴席で甘い酒として飲用する贅沢品であり、江戸中期になると国内生産が軌道に乗り庶民の手にも届くようになりました。とくにアルコールに弱い人や女性に好まれ、「口当たりがよく酔いにくい甘酒」として人気を博したのです。実際、天保年間の資料によれば「下戸や婦女子が好んで飲む」とみりんについて記されており、菓子代わりにみりん粕を舐める習慣もあったとか。やがて料理への利用も増えましたが、江戸後期までみりんは飲む酒としての側面をしっかり持っていました。現在でもみりんメーカーが当時の味を復元した「本みりん」を限定販売すると、甘く濃厚な味わいが話題になります。白酒もみりんも、現代では脇役ながら、日本の酒文化史の中では異彩を放つ存在として記憶され続けています。
琉球王国の酒文化:泡盛と南国の秘酒
日本列島の南端、琉球(現在の沖縄)にも独自の酒文化が育まれてきました。その代表が泡盛(あわもり)です。泡盛はタイ米(インディカ米)と黒麹菌を用いて仕込む蒸留酒で、15世紀後半には琉球王国で造り始められたとされます。当時、東南アジアとの交易が盛んだった琉球にシャム(タイ)から蒸留技術が伝わり、米の多量生産が可能な琉球で焼酎造りが発展したのです。17世紀には首里王府の管理下で首里三箇と呼ばれる3地域の職人だけが泡盛造りを許される国家専売制となり、品質が洗練されました。泡盛は日本最古の蒸留酒とも言われ、アルコール度数30度前後の原酒をさらに長期熟成させた古酒(クース)を珍重する文化があります。地下の甕に10年、20年と寝かせた古酒はまろやかな琥珀色となり、「時を飲む酒」として琉球王朝の貴族や薩摩藩への献上品とされました。また宮古列島や八重山諸島には、60度にも及ぶ高濃度の泡盛を花酒(はなざけ)として神祭に用いる風習もあります。豊年を祈る祭事で神酒として供される花酒は、南島の焼けつく陽光の下、豪快に振る舞われる強烈な酒です。泡盛は本土の清酒とは製法も風味も異なりますが、その背景には琉球の地理・歴史が色濃く反映されています。唐から伝わった黒麹菌の使用や、亜熱帯気候下での泡盛独特の香気は、琉球ならではの酒文化を育んできました。現在も沖縄の酒造所では古い甕が大切に保管され、先人が培養した「もろみの精霊」が受け継がれています。琉球の酒は、日本酒文化の南方に咲いた異国の花とも言えるでしょう。
アイヌ文化の伝統酒:トノト
北海道や樺太に暮らしたアイヌ民族にも独自の酒トノトがあります。それはアイヌ語で「酒」を意味し、神々に捧げる大切な儀式用の飲み物でした。アイヌの祭事カムイノミ(神への祈り)やイチャルパ(祖霊祭)ではトノトが神への供物として欠かせないものとされ、集落の女性たちが仕込みを担ってきました。伝統的なトノトは雑穀の稗(ひえ)を原料とし、米麹と水で発酵させて作ります。場合によって粟など他の雑穀を用いることもあったようですが、本式はヒエ酒です。出来上がったトノトは乳白色の濁酒で、その名の由来について一説には、日本語の「殿様(との)」から来た借用語「トノ」とアイヌ語の「ト(乳)」が合わさり、「殿様から賜った乳のように白い酒」という意味だとされます。すなわち和人の支配者から下賜された酒を指す言葉が転じて、アイヌの神聖な酒全般を指すようになったというのです。歴史的には和人との交易で手に入れた清酒やどぶろくも「サケ」あるいは「トノト」と呼びましたが、アイヌ自身も古くからヒエやコウリャンでもろみを作り酒にしていた記録があります。熊祭りでは酋長の家に集まり皆で雑穀を噛んで桶に吐き出し、それを発酵させて酒を造ったという報告もあり、前述の口噛み酒の手法がアイヌにも存在したことがわかります。現代ではアイヌ伝統の酒造りは途絶えていましたが、近年北海道の酒蔵が博物館の監修の下でヒエ酒の再現に成功し、「カムイトノト」という商品名で復刻酒を発売しています。米麹と酵母にヒエを加えて仕込み、仕上げにヒエの甘酒で風味を調えるという製法で、ほどよい酸味ととろりとした甘みが特徴だといいます。グラスに注がれた黄金色がかった乳白の液体は、アイヌの祈りと大地の恵みを今に伝える貴重な一滴です。トノトは琥珀色の古酒とはまた違う、北の大地に宿る神秘の酒と言えるでしょう。
発酵文化と日本酒
日本独自の麹発酵文化
日本の食文化は「発酵文化」と称されるほど、発酵食品が多彩です。味噌・醤油・酢・漬物・鰹節、そして日本酒。これらの要となるのが麹菌(こうじきん)です。蒸した米や大豆にカビ(麹菌)を繁殖させて麹を作り、酵素の力でデンプンやタンパク質を分解させる――日本人はこの麹の利用を古来巧みに発達させてきました。麹菌(学名: Aspergillus oryzae)は東アジア各地に生息しますが、日本ほど積極的に人為利用した例は他になく、その価値は2006年に日本醸造学会によって「日本の国菌」に認定されたほどです。麹カビは日本人の先達が古来大切に育み使ってきた貴重な財産であり、清酒・味醂・醤油・味噌など和食に欠かせない食品の製造はすべて「麹造り」から始まる、と専門家は指摘しています。例えば醤油や味噌では大豆や麦に麹菌を繁殖させ、酒では米に繁殖させます。麹菌が産生する強力な酵素がデンプンを糖に、タンパク質を旨味成分のアミノ酸に分解してくれるおかげで、私たちは豊かな発酵食品の旨味を享受できるのです。日本酒造りもまた、まず米麹を仕込む工程から始まります。蔵人たちは室(むろ)と呼ばれる麹室で蒸米に麹菌の胞子を振りかけ、温度と湿度を繊細に管理しながら麹を育成します。こうしてできた米麹こそが、日本酒の命とも言える糖化酵素の供給源です。実に日本酒は「カビが作った糖」を「酵母が醗酵させる」飲み物なのです。カビと聞くと特殊に思えるかもしれませんが、日本では「麹」は福を招く縁起物として扱われ、杜氏たちは蔵に棲みつく麹菌に敬意を払い接してきました。黄麹菌の芳しい香りが立ち昇る麹室の光景は、日本独自の発酵文化が育んだ神聖な実験室と言えるでしょう。
並行複発酵が生む特別な醸造過程
日本酒の醸造法は世界でも類を見ない特徴を持っています。それが「並行複発酵」と呼ばれる発酵様式です。通常、ビールやウイスキーのような穀物由来の酒を造る場合、まず糖化してから発酵するという段階的発酵(単行発酵)を行います。ビールでは麦芽でデンプンを糖化し甘い麦汁を作り、それを酵母がアルコール発酵します。ワインは果汁そのものに糖が含まれるので、最初から酵母による単発酵で済みます。これに対し日本酒では、糖化とアルコール発酵を同じタンクの中で同時に進行させる並行複発酵を採用しています。蒸米に米麹と水、酵母を加えたもろみの中で、麹の酵素が絶えずデンプンを糖に分解し(糖化)、できた糖を酵母が即座にアルコールと炭酸ガスに変えていく(発酵)――この二つの化学反応が並行して進むのです。並行複発酵の利点は、一度に大量の糖が溜まらないため酵母への浸透圧ストレスが小さく、結果的に酵母が高いアルコール度数まで発酵を続けられる点にあります。実際、日本酒は蒸留せずに自然発酵で15~16度、最大で20度近いアルコール度数に達することがあります。これはワイン(平均12度)やビール(5度前後)より遥かに高く、世界的にも特異な現象です。麹菌という強力な糖化エンジンと、巧みに仕込まれた三段仕込みの工程によって、もろみ中の酵母は栄養豊富な環境で長く働き続けることができるのです。一度目の仕込み(初添え)で酵母の勢いをつけ、二度目(三添え)で醪を増量し、最後に留添えで酵母を極限まで働かせる三段仕込の知恵は、まさに並行複発酵を最大限活かす人間の工夫でした。この技術のおかげで、日本酒は穀物由来酒としては異例の豊かなアルコール感と複雑な旨味を備えるに至ったのです。他国の醸造者たちも日本酒のこの醸造プロセスには驚嘆するといい、「同じタンクで同時に糖化と発酵が進むのは魔法のようだ」と評されます。並行複発酵こそ、日本が世界に誇る醸造技術上の独創と言っても過言ではないでしょう。
他国の発酵文化との比較
日本の発酵文化を際立たせるために、他国の例と比較してみましょう。まず中国や朝鮮半島では、日本とは異なる麹 starterが使われてきました。中国の酒麴(麹母, qu)や韓国の麦麹(ヌルク)は、小麦や米などを固めて自然界の微生物を繁殖させた固形の発酵スターターです。これらには麹カビだけでなく野生の酵母や乳酸菌も多数含まれており、一種の「発酵生態系」を形成しています。例えば韓国のマッコリ造りに使うヌルクは、蒸した小麦を固めて空中放置し、様々な菌が繁殖したものです。ヌルクには糖化するカビ菌もいれば、自らアルコール発酵する酵母菌、さらには風味に影響を与える細菌まで混在しています。このため発酵が進むごとに多彩な香味成分が生まれ、複雑で野性的な風味の酒になります。一方、日本の麹菌は純粋培養した特定のカビ種のみを用いるため、発酵の予測可能性が高く洗練された風味を得やすい反面、ある意味では「管理された発酵」です。韓国伝統酒が「生きもののように毎回違う味わい」を見せるのに対し、日本酒は杜氏の狙い通りの味に再現性高く仕上げることが可能です。この違いは発酵スターターの違いによるところが大きいでしょう。
中国の黄酒(ホワンチュー)もまた曲麹を用いた米の醸造酒で、紹興酒に代表されるように独特のコクと甘みがあります。日本酒との大きな違いは、黄酒は糖化と発酵を別々に行う「単行複発酵(段階的発酵)」である点です。中国では麹と酵母が混在した酒曲を米にまぶし、そのまま密閉して発酵させると、カビが糖化しつつ酵母も働き、やがて全体が熟成して酒となるという造り方が一般的でした。これは並行複発酵と似ているようで、実際には糖化と発酵のバランスを人為的に制御する日本の手法とは異なり、より自然発酵任せの部分が大きかったようです。こうした違いから、日本酒は雑味の少ないクリアな飲み口と繊細な香りを特徴とし、黄酒やマッコリは旨味と酸味の濃厚なパンチの効いた味になっています。
また西洋のワインやビールと比べても、日本酒の発酵は独特です。ワインは単発酵でブドウの風味を活かすため、発酵に使う酵母以外の微生物は極力排除されます。ビールも麦汁を煮沸殺菌して酵母を加えるので、醸造タンク内は酵母のみという環境です。一方、日本酒の場合、速醸酛では乳酸を添加して雑菌を防ぐとはいえ、生酛系では仕込みの初期に乳酸菌も一緒に繁殖させます。酵母・麹・乳酸菌という複数の微生物が同居する発酵は世界的にも珍しく、これにより生まれる複雑な旨味が日本酒の個性を形作っています。例えば生酛造りの山廃仕込みの酒などは、乳酸発酵由来の独特のコクと酸があり、これが肉料理とも合う深い旨味を生みます。日本の発酵文化は「単一菌種のピュアな発酵」と「複数菌種の共生発酵」の両面を使い分け、洗練と複雑さを両立させてきたと言えるでしょう。麹菌という見えない働き手と、それを統御する杜氏の匠の技が、日本酒を他に類のない発酵飲料に押し上げたのです。
東洋医学との関連
東洋医学でみる日本酒の効能
「酒は百薬の長」と言われるように、古来より適度な酒は健康によいと信じられてきました。この言葉は中国の古典にも登場し、東洋医学的にも酒は上手に用いれば薬になると考えられてきました。では日本酒は東洋医学の視点でどのような効能を持つと考えられてきたのでしょうか。漢方の世界では、日本酒を含む酒類はその性質を「辛甘・大熱」と評します。つまり辛みと甘みを持ち、体を温める熱性が強い食品という位置づけです。実際、漢方薬の素材事典でも日本酒は身体を温め、血行を良くし、気血の巡りを改善する効果があると記載されています。血管を拡張して血の巡りを良くするため、冷えによる痛みや凝りを和らげ、ストレスを発散させる働きが期待できるというのです。中医学には「不通即痛(流れざれば即ち痛む)」との考え方がありますが、冷えで滞った気血を酒の温め作用が巡らせることで、痛みを軽減できるという理屈です。特に日本酒はアルコール度数が適度で体へのあたりが柔らかく、少量でも末梢血管を拡げる効果が高いとされます。薬膳の分野でも日本酒は重要な素材で、身体を芯から温める食材として扱われます。例えば生姜や葱と日本酒を合わせて摂取すれば体表を温め発汗を促すので、風邪のひき始めに良いといった民間療法があります。胃腸が冷えて機能が低下しているとき、日本酒のもつ適度な刺激と温熱効果が胃腸を活発にし食欲を増進させるとも言われます。実際、食前酒に日本酒を一杯飲むと胃が心地よく温まり、消化液の分泌が促される感覚を持つ方も多いでしょう。東洋医学的には「肝を助け脾を和す」、すなわち精神をリラックスさせつつ消化を助ける作用があると解釈できます。もっとも何事も過ぎれば毒となるのは酒も同じで、飲み過ぎれば「湿熱」が体内にこもり逆に不調を来すとされます。適量を守ればこそ薬となる――これは昔から繰り返し言われてきた戒めです。
薬酒・鍼灸と日本酒の意外な関係
東洋医学では、酒そのものを薬に仕立てる薬酒の文化も発達しました。日本酒や白酒に生薬を漬け込んで成分を抽出した薬用酒は、滋養強壮剤や治療薬として古くから用いられています。お正月にいただく屠蘇(とそ)も本来は薬酒の一種です。中国・唐の名医孫思邈が考案した処方とも言われ、数種の生薬を調合した「屠蘇散」を酒や味醂に浸け込んで作ります。漢方薬局で屠蘇散が売られているのを見たことがある人もいるでしょう。大晦日に屠蘇散を日本酒に漬け、一晩おいて成分を抽出した屠蘇酒を元旦の朝に家族で飲む風習は、日本でも室町時代以降広く定着しました。山椒や肉桂など温めの生薬が中心で、邪気を払い長寿を願う縁起物とされています。このように日本酒は生薬の有効成分を引き出す溶媒としても優秀で、著名な薬用酒「養命酒」もベースは醸造アルコール(日本酒に近い原料)です。養命酒製造の解説によれば、アルコールはそれ自体で「胃腸を刺激し食欲増進、血行促進、体を温め深い眠りを誘う」効果を持ち、これに生薬の薬効が加わることで単独以上の効果を発揮するのだといいます。まさに日本酒+生薬の相乗効果ですね。身近なところでは、風邪かな?と思った夜に玉子酒(日本酒を人肌に温め卵黄と砂糖を溶いたもの)を飲んで休むと翌朝楽になる、という民間療法もあります。これも酒の温め作用+栄養補給で体力を補い自己治癒力を高める理にかなった方法です。
東洋医学の古典には「少量の酒は血行を良くし気を開く」「大黄を酒に溶いて服すれば腸を通す」等々、酒の薬用利用が頻出します。鍼灸の世界でも、昔はお灸を据える前に肌に日本酒を塗って清めつつ柔らげる、といった使われ方がありました。酒風呂に入ると体がよく温まるのは経験的にも知られています。もともと灸や漢方薬は体を温め経絡の滞りを解消する治療が多いですが、日本酒もまた体温を1~2度上げ末梢まで血を巡らせる作用があるため、その点で目指すところは共通しています。薬膳では料理酒として日本酒を使うことで食材の臭みを取り旨味を引き出すと同時に、食べた人の体を内側から温める一石二鳥の効果を狙います。魚の煮付けに日本酒と生姜を効かせるなどは典型例でしょう。こうした伝統知識は先人たちの経験則でしたが、現代の科学も少しずつその裏付けを与えつつあります。
発酵食品と健康:最新研究から
近年、腸内環境(腸内フローラ)が人の健康に与える影響がクローズアップされています。発酵食品は腸内環境を整える「善玉菌」や発酵代謝産物を多く含むため、世界的にも機能性食品として注目されています。日本は発酵食品の宝庫だけに、その健康効果に関する研究も盛んです。例えば京都大学の研究グループは、漬物やキムチに含まれる乳酸菌の中に肥満や糖尿病を予防・改善する有用株があることを明らかにしました。乳酸菌ラクトバチルス・メセンテロイデスの産生する多糖類が食物繊維のように働き、腸内細菌叢を良好なバランスに導くことで代謝異常を抑制する分子メカニズムが解明されたのです。また別の研究では、味噌や納豆など発酵食品を日常的に摂取する人は腸内の有益菌の多様性が高く、炎症性腸疾患のリスクが低いことが報告されています。サントリーの研究所によれば、発酵食品に含まれる微生物そのものや発酵で生じた代謝物が腸内細菌叢の多様性を増し、免疫機能の調節に寄与していることが分かってきたそうです。腸は第二の脳とも呼ばれ、メンタルヘルスや全身の免疫に深く関わりますが、発酵食品を通じて腸内環境を良好に保つことが、結果として心身の健康と長寿につながると期待されています。
では日本酒はどうでしょうか。清酒そのものは発酵過程で熱殺菌処理を施すため、ヨーグルトのような生きたプロバイオティクスを含むわけではありません。しかし日本酒にはアミノ酸やペプチド、糖類など微生物が生成した栄養素が豊富に含まれています。近年の分析で、日本酒に含まれるアデノシンという成分が血管を拡張し血流を改善する作用を持つことが判明しました。特に清酒は他の酒類に比べアデノシン含有量が群を抜いて多く、適量飲酒により末梢血管が開きやすくなることが示されています。その結果、毛細血管の隅々まで血液が行き渡り、新陳代謝が促進される効果が期待できます。国立醸造試験所の研究では、日本酒や赤ワインに含まれるポリフェノールが悪玉コレステロールの酸化を抑え、善玉コレステロール(HDL)を増加させて動脈硬化を防ぐとの報告もあります。さらに日本酒は血小板の凝集を防ぐ抗血栓作用も持つ可能性が指摘され、少量の晩酌が心筋梗塞や脳卒中のリスク低減に寄与しうるとされています。秋田の酒蔵・高清水が監修した資料によれば、日本酒を適量たしなむ習慣のある高齢者は毛細血管年齢が若く保たれる傾向があり、皮膚表面の血色も良好であるとのことです。もちろん生活習慣全般の影響も大きいでしょうが、日本酒の持つ微量栄養成分(アミノ酸、ペプチド、有機酸類)が抗酸化作用や代謝促進作用を発揮している可能性があります。また日本酒のもろみから分離された酵母や麹菌由来の物質が、腸内の善玉菌のエサ(プレバイオティクス)となりうるという研究も進んでいます。清酒醪に存在するオリゴ糖やアミノ酸は小腸では吸収されにくく大腸まで届くため、腸内細菌がそれを代謝して短鎖脂肪酸などの有益物質を産生する可能性があります。実際、酒粕を食餌に混ぜたマウス実験で腸内炎症の指標が下がった例も報告されています。
さらに近年注目なのは、発酵食品の摂取がメンタルヘルスに良い影響を与えるという腸-脳相関の研究です。味噌汁や漬物を日常的に摂る人はストレス反応が穏やかとの疫学調査もあり、発酵食品由来の物質が腸から脳へ信号を送り、不安や鬱を軽減する可能性も議論されています。日本酒についての直接的なデータはまだ限られますが、適度な晩酌がリラックス効果を生むことは多くの人が実感するところでしょう。寝つきが良くなる、肩の力が抜ける、といった効果は東洋医学でいう「心身の気を開く」作用そのものです。もっとも健康のためとはいえ飲み過ぎれば逆効果ですから、「ほろ酔い程度」を守るのが肝要です。古来の知恵と現代科学が少しずつ融合しつつある中で、日本酒という発酵産物が持つ可能性も再評価されています。腸に優しく血管に嬉しい適量の酒は、まさに百薬の長の名に恥じない存在なのかもしれません。
参考文献・出典:日本酒造組合中央会「The History of Japanese Sake」、米穀安定供給確保支援機構「お米の文化と歴史」、奈良県観光サイト「清酒発祥の地 正暦寺」、Wikipedia「どぶろく」・「トノト」、Sake Times、Kracie「漢方 薬膳素材図鑑」、沢の鶴「日本酒の意外な健康効果」、京都大学・株式会社ピュール「発酵食品と腸内環境」ほか各種記事・論文より。